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昭和名選手烈伝

2020.05.12

「天空稲妻パンチ」を武器に昭和のお茶の間を沸かせたタイガー林

 

試合を決めにいくパンチは正に天空から落ちてくる稲妻のごとく相手選手を一撃粉砕した。

 

これをくらった選手は試合どころかその人生すら危ぶまれるほどのダメージを負った。

 

タイガーは小学5年の時にキックボクシングと出会いその格闘技人生をスタートさせた。入門当初から学校よりもキック、友達よりもキックととにかくキックボクシングを優先させていたタイガーであったがその道のりは決して平坦なものではなかった。幼少期から身体が大きくなかったタイガーは同年代で活躍していた選手達には到底及ばず悔しい思いを幾度となく繰り返していたのだった。

 

しかしそんなタイガーが中学に入ったころ転機が訪れた。

 

中学に上がると同時に所属するジムのプロ練習に参加をするようになっていたタイガーはそこでプロ選手たちのラントレやウエイトトレーニングに取り組む姿に衝撃を受けた。

 

「これがプロか・・・」

 

プロ選手のスピード、そしてたくましい身体を目の当たりにしたタイガーは、その日から猛烈にフィジカルトレーニングに励むようになっていった。

 

しかし当時のタイガーとプロ選手とのフィジカルの差は歴然、死に物狂いの日々が続いた。

 

そんなタイガーであったが中学3年になるころにはプロ選手達の前を走るまでになっており、その身体も誰もが想像だにできぬほどに大きくなっていったのであった。

 

かくして元来テクニックには定評のあったタイガーは高校に上がるやいなや満を辞してのプロデビューを果たした。そのデビュー戦を圧倒的な差を見せKO勝利で収めると、その後連勝を重ねデビュー6戦目で当時「生ける伝説」と謳われた絶対王者リオン沢村に挑戦しこれを2ラウンドで撃破、初のタイトルを奪取することとなった。

 

17歳2ヶ月でチャンピオンとなったタイガーであったが、その頃よりタイガーが得意とする右ストレートに「天空稲妻パンチ」という呼称がつけられるようになるとこれが瞬く間に大流行、当時の子供達は皆タイガーの真似をし怪我人が多く出たことから社会問題にまで発展する事件となった。

 

その後もタイガーは国内の名だたる選手達をことごとく撃破し19歳になったころには国内敵なしとなっていた。

 

当然タイガーの噂は世界にも轟き各国から出場のオファーが殺到、タイガーは二十歳になったのを機に活躍の場を海外へと移していった。

 

それから引退までの10年間、タイガーは世界を渡り歩き各地に伝説を残し無敗のままその格闘技人生に幕を降ろしたのであった。

 

タイガー林

生涯戦績60戦60勝

必殺技「天空稲妻パンチ」

 

プロデビュー前の貴重なタイガー林の写真(当時中学2年)

 

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